東京地方裁判所 昭和24年(ワ)5481号 判決
原告 斉藤辰蔵
被告 増戍退士 外一名
一、主 文
原告の請求はいづれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告増戍は原告に対し東京都豊島区池袋三丁目千六百五十八番地所在、家屋番号同町二百九十六番、木造亞鉛メツキ鋼板葺二階建居宅一棟、建坪十八坪七合五勺、二階十坪中階下十八坪七合五勺を明渡せ、被告三上由郎は原告に対して右家屋中二階十坪を明渡せ、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決竝に担保供與による仮執行の宣言を求め、その請求原因として申立掲記の家屋は昭和十一年当時の所有者訴外高橋旭太郎が被告増戍に対し、賃料を一ケ月三十五円の約で期間の定めなく賃貸したものであるが、昭和十七年三月十七日、原告の長男訴外斎藤清司が前記高橋より買受けて所有権移轉登記を受け、前者と同一の約旨によつてそのまゝ被告増戍に賃貸していたが、原告は清司よりその家屋の讓渡を受け、昭和二十四年六月二十七日その所有権取得登記を経て本件家屋の賃貸人としての権利義務を承継した。
ところが被告増戍は、昭和十九年五月頃被告三上に本件家屋の二階十坪を轉貸し、又階下には訴外吉岡靖二を同居させているのみでなく、最近は別に本件家屋の附近に店舗を所有し乾物商を営んでいるので住居に余裕があるにひきかえ、原告は昭和二十年五月二十五日の戰災によつて居宅を焼失したので、現住所の急造のバラツク七坪を建築居住していたところ、二男弘太郎は昭和二十一年十月復員し、妻帶後も原告と同居し、長男清司も昭和二十二年五月復員して妻帶したが、原告の住居が手狹な爲め同居することも出來ず已むなく一時訴外畑瀬方三疊間一室を間借したような次第であり、本件家屋は之を修理する必要もあるし、原告一家が同居するため本件家屋が必要なので原告は被告増戍に対して訴外山田に賃貸中の家屋(建坪七坪)の明渡を受けて移築し、それを被告増戍に提供するから本件家屋を明渡して貰い度いと申込んだが拒絶された。そこで更に原告及び長男清司は被告増戍に対して原告所有の家屋で訴外畑瀬の居住していた家屋(二階建十二坪)が空家となつたのでこれを贈與するから本件家屋を明渡して貰い度いと再三交渉したが應じないので、止むなく清司は昭和二十四年五月二十五日被告増戍に対して賃貸借契約解約の申入れを発し、右解約申入の意思表示は昭和二十四年五月二十八日同被告に到達したから、右清司から本件家屋の所有権の讓渡を受けた原告は、前所有者清司の地位をそのまゝ承継したこととなるので、原告の被告増戍に対する本件賃貸借は右告知の時より六ケ月を経過した同年十一月二十八日限り終了したものである。仮りに前所有者清司の解約申入の意思表示が効力がないとしても、本訴状の送達を以て解約の申入をなしたから爾後法定期間の経過とともに右賃貸借は終了した。よつて同被告に対しては右終了による家屋の明渡を求めると共に被告三上は何等原告に対抗し得る権原なくして本件家屋を占有するものであるから、同被告は原告に対しその占有部分の明渡をなす義務がある。と述べた。<立証省略>
被告両名、訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、原告主張事実中被告増戍が昭和十一年一月から当時の所有者であつた訴外高橋より本件家屋を期間の定めなく賃借居住していたところ、訴外清司が前記高橋より本件家屋を買受け賃貸人の権利義務を承継した事実、被告三上が原告主張の如く本件家屋の二階十坪に同居していること、被告増戍が乾物店を営んでいること及び清司から原告主張の日時に解約申入のあつたことはこれを認めるが、原告がその主張の如く本件家屋の所有権の讓渡を受け、その所有権取得登記を経たことは不知である。その他の事実は否認する。被告増戍は昭和十九年春頃妻子を疎開させ單身本件家屋に居住していたが、偶々妻の実兄である被告三上が仙台より東京に轉勤となつたので、同人夫妻とその母等三名で被告増戍方に同居することゝなつたが、原告は被告三上の同居に対して異議を述べないのみか、空襲の場合には安心だとむしろ謝意を表していた位であつて、被告増戍には契約に違背するようなこともなく、又本件家屋の修理にしても被告等が立退かねば不可能な程度でもないし、被告増戍は胸部疾患のため失職し止むなく本件家屋附近に店舗(寢泊りは出來ない)を借受けてさゝやかな乾物商を営み、妻都子も和服裁縫の内職をして僅かに一家五人の生計をさゝえているに過ぎない。又被告三上はその俸給によつて辛うじて一家八名の生計を維持している程度であるから、今日の経済状態では他に借家を求めて移轉する資力なきは勿論、若し本件家屋を立退かねばならぬとすると被告等両名の十三名の家族は生活の基盤を失う結果となる。然るに原告は戰前現住所に木造二階建四十五坪の自宅を所有していたが、その内十二坪を自ら使用していたに過ぎず、その余の部分は他に賃貸していたのであり、現在七坪の家屋に住居するとしても現に長男清司、二男弘太郎はそれぞれ他に家屋を建築し独立の生計を営んでいるのであるから、戰前に比してさして手狹いとはいえないし、その所有していた数戸の貸家を次々に賣却し、殊に畑瀬某に賃貸していた家屋は同人より明渡を受けながら、自ら居住することなくこれをも大川某に賣却し、又山田壽々に賃貸中の家屋は増築して更に他に賃貸している位であるから原告はその住居に困窮しているとは思えない。以上の様な次第であるから原告の解約申入は全く正当の事由なく無効と云うべきであると述べた。<立証省略>
三、理 由
本件家屋は元訴外高橋旭太郎の所有であつて、昭和十一年一月以降被告増戍が同人より賃借していたが、昭和十七年三月十七日斉藤清司が高橋からこれを買受け、その賃貸人たる権利義務を承継したこと、右清司から被告増戍に対して昭和二十四年五月二十五日発信同月二十八日到達の賃貸借解約申入の意思表示のあつたことについては、当事者間に爭いなく原告が昭和二十四年六月二十七日清司から本件家屋の讓渡を受け、その所有権取得登記を経由したことは成立に爭なき甲第一号証及び第五号証によりこれを認め得るから、原告において同日以降その賃貸人たる権利義務を承継したことは明である。原告は右清司の爲した解約の申入の効果が原告自身に帰属すべきことを主張するのであるが、解約申入後、賃貸借契約終了に至るまで法定期間経過前に賃貸人に更替があつた場合、その解約の申入の効力がそのまま存続するかどうかは困難な問題であるが、正当事由の有無は解約申入をした賃貸人自身について論ずるのが原則であり、從つて一般的には賃貸人の更替あるときは前賃貸人の解約申入は、その申入の基礎である事由の消滅によつて効力を失うものとし、社会通念に照らし解約申入の事由に変更を生じないと考えられるような特段の事情の下に賃貸人の更替が行われたときは、解約申入の効力がそのまゝ存続するものと解するの外はない。この見地から本件の場合を考えると、後記認定の如く解約申入をした賃貸人清司は原告の長男ではあるが原告とは居住並に生計を異にするものであり、又本件解約申入の事由は賃貸人の自己使用の必要を理由とするものであるから、清司のなした解約申入の事由はそのまゝ原告にも存するものとは社会通念上認め難いので、清司の解約申入の効力は本件家屋の所有権の喪失による賃貸人の地位の脱却と共に消滅に帰したるものと云わなければならない。從つて清司の解約申入の効力の存続を前提とする原告の請求は理由がない。
次に原告は本訴状の送達を以て解約申入を爲した旨主張するので考えるに、本件訴状によれば、被告増戍に対して明渡を求めて居り、その趣旨は解約の申入を認めるに十分であり、そして訴状は昭和二十四年十二月十六日同被告に送達せられているから以下解約申入の正当性の有無について判断する。証人五十嵐国五郎、同斉藤清司の各証言竝に原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告は現に約七坪のバラツクを建築して夫婦と子供三人で居住しているのであるが、原告の長男清司は別にその所有の賃貸家屋に賃借人と同居して居り、原告の二男も亦原告の現住居に隣接するバラツクを賃借して居住し各独立して生計を営んでいること、原告等の右住居はいづれも必ずしも余裕あるものではないこと、原告は戰後その所有に係る貸家数戸を遂次賃借人等に賣却して來たが本件家屋は長男清司の所有名義である当時から被告増戍に対し明渡を求め、畑瀬某に賃貸していた家屋の明渡を受け、これと本件家屋とを交換して居住することを求めたことが認められるが、右事実によれば老齢の原告としては長男等と共に本件家屋に居住したいと希望していることが一應窺知せられる。然しながら証人斉藤清司の証言によれば原告の長男清司としては必ずしも原告と同居を希望していないことが窺われるし、原告の二男も初め原告と同居していたものであるが、現在別居していることは前記認定事実に照らして明らかなところである。又原告は前記畑瀬から明渡を受けた家屋は被告増戍が交換居住を拒絶したので他に賣却して了つたことは、原告本人の供述によりこれを認めるに十分である。尤も原告主張のように被告等が本件家屋を明渡さねばその修理ができないことを認めるに足る証拠はない。
以上の事実に、被告側の事情として証人増戍都子、三上壽枝、五十嵐国五郎の各証言により認められる被告増戍の家族が夫婦と子供三人の合計五人であり、被告増戍自身は胸部の疾患により失職して最近本件家屋の附近に店舗を借り受け乾物商を営み(この点は爭のないところである)その妻も裁縫の教授を内職として漸くその生計を立てているが、資産とてなく、右店舗も寢泊り出來ない狹さであるから本件家屋を明渡して他に移轉する余裕のない状態であること、被告増戍は戰時中妻の実兄である被告三上を本件家屋二階に同居させたが、住宅難のまゝ今日に至りその家族は三上夫婦と子供五人及び老母の八人で三上の俸給により辛じてその生計を維持しているので、賃料をとつて轉貸しているのではなく全く親族として同居しているものであること、原告は被告三上と同居当時からその事実を知りながら被告等に対して格別の異議を述べなかつたこと、原告から前記家屋の交換居住の申入があつたがそれを拒絶したのも、被告等十三名の家族が住むには到底狹隘に堪えないためであつたことを彼此対比して考えると、借家人として格別の背信行爲も認められない被告増戍に対して、本件家屋を明渡させるに足るだけの正当な事由があるものとは断じ難いから、原告の前記解約の申入はその効力なく本件賃貸借は依然存続するものと謂わなければならない。して見ると上叙認定の通り被告増戍の親族として同居している被告三上は、被告増戍の賃借権の範囲内において從属的に本件家屋の二階を占有しているに過ぎず、原告も暗黙のうちにこれを認めていたものと云うべきであるから原告の被告等両名に対する各明渡の請求はいづれも失当として棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 毛利野富治郎 恒次重義 井口牧郎)